12度の大きな地震に続き、雲仙岳の眉山の東側斜面が崩壊
5月21日の夜、2度の大きな地震に続いて雲仙岳の眉山の東側斜面が崩壊し、土砂崩れが島原市内を飲み込んで有明海に流れ込み、大津波を引き起こしました。
2雲仙岳の西側斜面で一連の地震が発生し、徐々に普賢岳へと移動
1791年の終わり頃、雲仙岳の西側斜面で一連の地震が発生し、徐々に普賢岳(雲仙岳の峰の一つ)へと移動していきました。
3普賢岳が噴火を開始
1792年2月、普賢岳が噴火を開始し、2ヶ月間続く溶岩流が発生しました。その間も地震は続き、島原市の近くへと震源が移動していきました。
4巨大津波(メガ津波)
この崩壊がドームの噴火によるものか、地震によるものかは今日でも分かっていません。津波は有明海を挟んだ対岸の肥後国を襲い、その後跳ね返って再び島原を襲いました。推定15,000人の犠牲者のうち、約5,000人が土砂崩れで、約5,000人が対岸の肥後国での津波で、さらに5,000人が島原に戻ってきた津波によって亡くなったと考えられています。波の高さは10〜20メートルに達し、この津波は小規模なメガ津波に分類されます。布津町の尾崎鼻では、海底地形の影響により、局地的に57メートルの高さにまで達しました。

