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ヒッタイト

カデシュ条約

1258 紀元前
サザン・カナン

この時期以降、ヒッタイトとエジプトの両国の力は、アッシリアの台頭により再び衰退し始めた。 アッシリア王シャルマネセル1世は、ムワタリがエジプトとの対応に追われている隙を突き、フルリとミタンニを打ち破ってその土地を占領し、アナトリアのユーフラテス川上流からバビロニア、古代イラン、アラム(シリア)、カナン(パレスチナ)、フェニキアにまで勢力を拡大した。 ヒッタイトは軍事支援によってミタンニ王国を維持しようと無駄な努力をしていた。アッシリアは今や、かつてのエジプト以上にヒッタイトの交易路にとって大きな脅威となっていた。ムワタリの息子ウルヒ・テシュブが王位を継ぎ、ムルシリ3世として7年間統治したが、短い内戦の末に叔父のハットゥシリ3世によって追放された。 アッシリアによるヒッタイト領土の併合が進む中、ハットゥシリ3世は(同じくアッシリアを恐れていた)ラムセス2世と平和・同盟条約を結び、娘をファラオに嫁がせた。 歴史上現存する最古の完全な条約の一つである「カデシュ条約」は、カナン南部における両国の境界を定め、ラムセス2世の治世第21年(紀元前1258年頃)に署名された。 この条約の条件には、ヒッタイトの王女の一人をラムセスに嫁がせることが含まれていた。

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