By Codenteam
797年、東ローマ皇帝コンスタンティヌス6世は、自ら女帝を宣言した母エイレーネーによって退位させられた。女性の指導者や財産所有を禁じるゴート法の影響を受けたラテン教会は、男性のローマ皇帝のみをキリスト教世界の長と見なしていたため、教皇レオ3世はコンスタンティノープル総主教への相談を排除し、新たな皇帝候補を求めた。ランゴバルド族から教皇領を守るというカール大帝の教会への貢献は、彼を理想的な候補者とした。
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