1漢帝国の人口が5900万人に達する
国勢調査により、漢帝国の人口が5900万人と集計された。
2班彪
平帝が全国的な学校制度を確立した。
3平帝の崩御
平帝は王莽によって毒殺され、王莽が摂政として実権を握った。
4劉歆が星表を完成させ、1年の長さを計算する
劉歆が星表を完成させ、1年の長さを計算した。
5王莽が新王朝の皇帝を自称する
王莽が新王朝の皇帝を自称した。
6王莽が専門職に対して10%の所得税を導入する
王莽は専門職や熟練労働者に対して10%の所得税を導入した。
7呂母が海曲県で県令に対する反乱を起こす
呂母が現代の日照市近郊の海曲県で、県令に対する反乱を起こした。
8昆陽の戦い
緑林軍が、現代の葉県における圧倒的な新軍による包囲を突破した。
9緑林軍が未央宮を襲撃し、王莽を殺害する
緑林軍が未央宮を襲撃し、王莽を殺害した。更始帝が即位し、漢王朝が復興した。
10更始帝が処刑される
更始帝が処刑された。
11赤眉軍が劉盆子を皇帝に擁立する
赤眉軍が劉盆子を皇帝に擁立した。
12漢の光武帝が皇帝の称号を名乗る
漢の軍閥である光武帝が皇帝の称号を名乗った。
13赤眉軍が漢王朝に降伏する
赤眉軍が漢王朝に降伏した。
14班固が生まれる
『漢書』の共同執筆者である班固が生まれた。
15ベトナムが漢の支配下に入る
ベトナムが漢の支配下に入った。
16漢の明帝
光武帝が崩御し、息子の明帝が後を継いだ。
17仏教の白馬寺が建立される
洛陽に仏教の白馬寺が建立された。
18伊吾盧の戦い
匈奴に対する漢の懲罰遠征軍が、現代のハミ市周辺の領土を占領した。
19漢の章帝
明帝が崩御し、息子の章帝が後を継いだ。
20王充が水循環の性質を正しく理論化する
王充が水循環の性質を正しく理論化した。
21金日磾が死去する
金日磾が死去した。
22漢の和帝
章帝が崩御し、息子の和帝が後を継いだ。
23アルタイ山脈の戦い
漢および同盟軍が北単于の軍を破り、アルタイ山脈で20万人の匈奴兵の降伏を受け入れた。
24許慎が『説文解字』を完成させる
許慎が『説文解字』を完成させた。
25漢の和帝が崩御する
漢の和帝が崩御した。
26漢の殤帝
和帝の幼い息子である殤帝が皇帝となり、皇太后の鄧綏が摂政を務めた。
27蔡倫が製紙法を発明する
蔡倫が製紙法を発明した。
28漢の殤帝が崩御する
殤帝が崩御した。
29漢の安帝
殤帝の幼い従兄弟である安帝が皇帝となり、鄧綏が引き続き摂政を務めた。
30安帝が崩御する
安帝が崩御した。
31北郷侯が皇帝となる
北郷侯が漢王朝の皇帝となった。
32北郷侯が崩御する
北郷侯が崩御した。
33安帝の息子である順帝が漢王朝の皇帝となる
安帝の息子である順帝が漢王朝の皇帝となった。
34張衡が地震の方向を示すことができる地震計を発明する
張衡が地震の方向を示すことができる地震計を発明した。
35『参同契』の出版
『参同契』が出版された。
36漢の沖帝
順帝が崩御した。幼い息子の漢の沖帝が後を継ぎ、皇太后の梁妠とその兄の梁冀が摂政を務めた。
37沖帝の崩御
沖帝が崩御した。
38漢の質帝
沖帝の幼い従兄弟である漢の質帝が皇帝に即位し、梁妠が摂政を務めた。
39梁冀による質帝の毒殺
梁冀が質帝を毒殺した。
40漢の桓帝
漢の桓帝が皇帝に即位した。
41支婁迦讖の誕生
支婁迦讖が誕生した。
42日中関係(ローマとの関係)
ローマの使節が漢の首都である洛陽に到着した。
43党錮の禁
朝廷の腐敗した宦官の影響力に反対した数名の官僚と約200名の学生が逮捕された。
44漢の霊帝
漢の霊帝が皇帝に即位した。
45桓帝の崩御
桓帝が崩御した。
46蔡文姫の誕生
蔡文姫が誕生した。
47『九章算術』への最古の言及
『九章算術』への最古の言及が現れた。
48丁緩による回転扇の発明
丁緩が回転扇を発明した。
49黄巾の乱
道教の教団指導者である張角が、漢の各州の信徒に対し政府への反乱を呼びかけた。
50涼州の反乱
羌族が現在の武威周辺で漢の支配に対して反乱を起こした。
51支曜による初の仏典翻訳
支曜が初めて仏教の経典を中国語に翻訳した。
52霊帝の崩御
霊帝が崩御した。
53劉弁の即位
霊帝の息子である劉弁が漢の皇帝に即位した。
54袁紹と袁術による虐殺
軍閥の袁紹と袁術に忠実な軍勢が、漢の首都洛陽で約2000人の宦官を虐殺した。
55董卓による劉弁の廃位と献帝の擁立
漢の将軍である董卓が劉弁を皇帝から廃位し、代わりに弟の漢の献帝を擁立した。
56董卓討伐戦
袁紹が率いる連合軍が、董卓に対する遠征を期して函谷関に集結した。
57董卓が養子の呂布によって暗殺される
董卓が養子の呂布によって暗殺された。
58孫策の江東平定
軍閥の孫策が陸康が統治する領土を攻撃し、征服した。
59曹操と張繡の戦い
曹操と張繡の戦いで曹操は命を落としかけた。曹操の長男はこの戦いで戦死したが、後に張繡は曹操に降伏し(199年)、共に袁紹と対峙することになった。
60下邳の戦い
軍閥の曹操と劉備の連合軍が、徐州で呂布に忠実な軍を破った。
61官渡の戦い
曹操に忠実な軍勢が、汴水と黄河の合流点付近で袁紹に壊滅的な打撃を与えた。
62公孫康による朝鮮半島への帯方郡設置
軍閥の公孫康が朝鮮半島に帯方郡を設置した。
63赤壁の戦い
劉備と孫権の軍閥に忠実な勢力は、長江を渡って侵攻しようとした曹操を決定的に撃退した。
64潼関の戦い
曹操は、現在の潼関県で反漢連合軍を破り、関中地方の支配を確実なものにした。
65劉備による益州の平定
現在の四川省および重慶市にあたる益州の牧であった劉璋が、成都を劉備に明け渡して降伏した。
66逍遥津の戦い
疫病の発生により、孫権は曹操の合肥の要塞に対する征服を断念せざるを得なくなった。
67漢水の戦い
劉備は漢中で曹操の軍を待ち伏せし、血の惨敗を喫させた。
68樊城の戦い
曹操は、現在の樊城区において劉備の将軍である関羽による攻撃を撃退したが、双方に多大な犠牲が出た。
69呂蒙による荊州侵攻
劉備の将軍である士仁と麋芳が孫権に寝返り、荊州の主要な防衛拠点を孫権の将軍である呂蒙に明け渡した。
70漢王朝の終焉
曹操の息子である曹丕は、献帝に退位を迫り、自ら曹魏の皇帝であると宣言した。
71劉備が蜀漢の皇帝として即位
劉備が蜀漢の皇帝として即位した。
72秦の始皇帝
紀元前221年、秦が他の六国を征服して中国を再統一し、専制君主制の支配体制を確立したことで戦国時代は終結した。秦王政は自らを秦の始皇帝と称した。
73帝国高速道路の建設開始
帝国高速道路の建設が開始された。
74小篆
丞相の李斯は、「小篆」を創案し、中国の書記体系を統一した。
75霊渠の建設
霊渠が建設された。
76焚書坑儒
焚書坑儒:『詩経』、『書経』、および諸子百家の著作のすべての写本を焼却するよう命じられた。
77秦の二世皇帝
秦の始皇帝の息子である二世皇帝が、中国の皇帝として後を継いだ。
78秦の始皇帝が埋葬される
秦の始皇帝は、秦始皇帝陵において兵馬俑と共に埋葬された。
79秦の始皇帝が崩御
秦の始皇帝は、錬金術師や宮廷医師が作った水銀の丸薬によって崩御した。皮肉なことに、これらの丸薬は始皇帝を不老不死にするためのものだった。
80陳勝と呉広が暗殺される
陳勝と呉広は、自らの部下によって暗殺された。
81大沢郷の乱
軍の将校であった陳勝と呉広は、任地への到着が遅れたことで処刑されることを恐れ、反乱を起こした。
82冒頓単于が匈奴帝国を樹立
匈奴の単于である冒頓単于が、ユーラシアステップに匈奴帝国を樹立した。
83李斯の反逆罪による処刑
李斯が反逆罪で処刑された。彼を陥れた趙高が代わりに丞相に任命された。
84子嬰の高祖への降伏
子嬰が高祖に降伏した。
85子嬰による趙高の殺害
子嬰が趙高を殺害した。
86漢の高祖による秦の首都咸陽への入城
楚の将軍である漢の高祖が、秦の首都咸陽に入城した。
87趙高による秦の二世皇帝の殺害
趙高が秦の二世皇帝を殺害した。二世皇帝の甥である子嬰が後を継いだ。
88巨鹿の戦い
軍閥の項羽率いる楚軍が、数で勝る秦軍を破り、秦軍の大部分を殺害した。
89項羽による咸陽への進軍
項羽は軍を率いて咸陽に入り、阿房宮を焼き払い、子嬰と王族を殺害した。
90鴻門の会
高祖は、項羽が自分を殺すために宴に招いたことを悟り、宴から逃亡した。
項羽は、中国の楚漢戦争時代(紀元前206年〜紀元前202年)の西楚の覇王。楚の貴族であった項羽は、秦に対して反乱を起こし、著名な軍閥となった。紀元前208年、楚の懐王から「魯公」の称号を授けられた。翌年、彼は楚軍を率いて巨鹿の戦いで章邯率いる秦軍を破った。秦の滅亡後、項羽は「西楚の覇王」として即位し、彭城を首都として現在の中国の中部および東部の広大な地域を支配した。彼は漢の初代皇帝となる劉邦と長きにわたる権力闘争(楚漢戦争)を繰り広げたが、最終的に垓下の戦いで敗北し、自害した。項羽は金古良による『無双譜』に描かれている。
91井陘の戦い
漢軍が井陘関において、数で勝る趙軍に決定的な勝利を収めた。
92垓下の戦い
高祖率いる漢軍が、現在の蘇州で項羽率いる西楚軍を壊滅させた。
93趙佗による南越国の建国
秦の将軍である趙佗が南越国を建国した。
94高祖の皇帝即位
高祖が皇帝の称号を名乗り、洛陽に都を定めた。
95白登の戦い
匈奴が漢の優勢な軍を包囲した。
96高祖の崩御
高祖が崩御した。息子の漢の恵帝が後を継いだ。
97蕭何の死
漢の丞相である蕭何が死去した。
98長安がシルクロードの東の終着点となる
長安がヨーロッパへ続くシルクロードの東の終着点となった。
99恵帝の崩御
恵帝が崩御した。息子の漢の前少帝が後を継いだ。
100張良の死
張良が死去した。
101前少帝の廃位と殺害
前少帝は皇太后である呂雉の命により廃位され、殺害された。後を継いだのは弟の漢の後少帝であった。
102呂氏の乱
陳平と周勃が率いる朝廷の官僚によって後少帝が廃位された。後を継いだのは、高祖の息子である漢の文帝であった。
103文帝の崩御
文帝が崩御した。息子の漢の景帝が後を継いだ。
104景帝の崩御
景帝が崩御した。息子の漢の武帝が後を継いだ。
105武帝が儒教を採用する
武帝は儒教を採用した。
106閩越に対する漢の軍事作戦
漢王朝は、属国である南越からの支援要請を受けて閩越を侵略した。
107馬邑の戦い
匈奴を馬邑での待ち伏せに誘い込もうとした漢の策略は失敗した。
108張騫が漢の朝廷に帰還し、旅の報告を行う
張騫が漢の朝廷に帰還し、大宛、康居、グレコ・バクトリア王国、インド・ギリシャ王国、パルティア、メソポタミアへの旅について報告した。
109漠北の戦い
オルホン渓谷への漢の遠征が始まり、匈奴に決定的かつ血なまぐさい敗北を与えた。
110漢王朝が南越を征服・併合する
漢王朝が南越を征服・併合した。
111東甌が漢によって侵略・併合される
閩越の残存国家である東甌が、漢王朝によって侵略・併合された。
112漢王朝が滇王国を侵略・併合する
漢王朝が滇王国を侵略・併合した。
113楼蘭の戦い
漢軍がロプノールにある楼蘭王国を攻撃した。
114漢軍がコーカンドを包囲する
漢軍がコーカンドを包囲した。
115司馬遷が『史記』を完成させる
司馬遷が『史記』を完成させた。
116武帝が崩御する
武帝が崩御した。幼い息子の昭帝が後を継ぎ、霍光、金日磾、上官桀が摂政を務めた。
117漢の宣帝
霍光は武帝の曾孫で当時平民であった者を、漢の宣帝として即位させた。
118昌邑王が廃位される
昌邑王が廃位された。
119霍光により昌邑王が漢の皇帝に任命される
霍光により昌邑王が漢の皇帝に任命された。
120漢の昭帝が崩御する
漢の昭帝が崩御した。
121車師の戦い
漢軍が、当時匈奴の支配下にあった現代のトルファン市交河において、姑師文化の人々を破った。
122西域都護府が設置される
西域都護府が設置された。
123班婕妤が生まれる
班婕妤が生まれた。
124漢の元帝
宣帝の息子である元帝が漢王朝の皇帝に即位した。
125宣帝の崩御
漢の宣帝が崩御した。
126京房が死去する
京房が死去した。
127郅支の戦い
漢軍がタラズにおいて匈奴の郅支単于が占拠する要塞を突破・破壊し、彼を殺害した。
128漢の成帝
元帝が崩御し、息子の成帝が後を継いだ。
129劉向が『列女伝』を編纂する
劉向が『列女伝』を編纂した。
130漢の哀帝
成帝が崩御し、甥の哀帝が後を継いだ。
131漢の平帝
哀帝の幼い従兄弟である平帝が漢王朝の皇帝に即位し、王莽が摂政を務めた。
132哀帝の崩御
漢の哀帝が崩御した。

