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ヨハン・ゼバスティアン・バッハ

約4か月間の不在

1705
ドイツ、リューベック

家族との強い結びつきや音楽に熱心な雇用主がいたにもかかわらず、数年後にはバッハと当局との間に緊張が生じました。バッハは聖歌隊の歌手のレベルに不満を抱いていました。彼はその中の一人を「Zippel Fagottist」(へなちょこファゴット奏者)と呼びました。ある夜遅く、ガイアースバッハという名のこの学生が棒を持ってバッハを追いかけました。バッハは当局にガイアースバッハを訴えました。当局はガイアースバッハを軽い戒告処分で無罪とし、バッハに対しては学生に求める音楽的資質についてもっと寛容になるよう命じました。数か月後、バッハはアルンシュタットを長期間不在にして雇用主を怒らせました。4週間の休暇を得た後、北部の都市リューベックのオルガニスト兼作曲家ディートリヒ・ブクステフーデを訪ねるために、1705年から1706年にかけて約4か月間不在にしたのです。ブクステフーデへの訪問は、往復450キロメートル(280マイル)の道のりで、徒歩であったと伝えられています。

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