ゴルディアヌス3世死去
ガイウス・ユリウス・プリスクス、そして後にその兄弟であるマルクス・ユリウス・ピリップス(アラブ人フィリップスとしても知られる)が、この時点で新しい近衛隊長として介入した。ゴルディアヌスはその後、二度目の遠征を開始することになる。244年2月頃、ササン朝ペルシアはクテシフォンへのローマの進撃を阻止するために激しく反撃した。 戦後のゴルディアヌスの最終的な運命は不明である。ササン朝の資料によれば、現代のファルージャ(イラク)近郊で戦闘(ミシチェの戦い)が発生し、ローマ軍の壊滅的な敗北とゴルディアヌス3世の死を招いたとされている。
