自由の女神像
アメリカ委員会
アメリカ合衆国
2度目の米国訪問中、バルトルディはいくつかのグループに対してプロジェクトについて演説し、米仏友好協会の米国委員会を結成するよう促しました。ニューヨーク、ボストン、フィラデルフィアで、土台と台座の費用を賄うための資金調達委員会が結成されました。ニューヨークのグループは最終的に米国での資金調達の責任の大半を担うことになり、しばしば「アメリカ委員会」と呼ばれました。そのメンバーの一人には、後にニューヨーク州知事および米国大統領となる19歳のセオドア・ルーズベルトがいました。1877年3月3日、グラント大統領は任期最後の日、フランスから贈呈される像を受け入れ、その設置場所を選定する権限を大統領に与える共同決議に署名しました。翌日就任したラザフォード・B・ヘイズ大統領は、バルトルディが提案していたベドロー島を設置場所に選びました。
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